日本個別指導ブログ

【町屋教室】教員時代のこと(2)~墨田区立錦糸中学校

2022年6月2日

町屋教室の今関です。前回の続きで墨田区立錦糸中学校時代のことを書きます。

足立12中の6年目は若輩ながら学年副主任をやらせていただいて、1年生から持ち上がったこともあって思い入れも強くまた素晴らしい生徒たちとの出会いも会って、自信を持って墨田区の伝統校である錦糸中学校に転任しました。しかし、その気負いが空回りしてうまく学校になじめず初めはよい指導ができたとは言いがたい毎日でした。商業地区の「下町」という気質もあり、私のような新参者の空回りの教師は今から思うと受け入れがたかったのは当然だと思います。それでも、自分にできることをやるしかないので、一生懸命生徒指導に取り組みました。同僚の先生方も足立区から転任された方が多く一緒に苦しみながら前を向いて指導にあたりました。その甲斐あって2年生、3年生と持ち上がって無事クラスの生徒も希望の進路についてくれました。次の年、また3年生の担任を受け持つことになりましたが、この学年のこのクラスの生徒さんたちは人懐っこい子が多く、また保護者の方も、その前の学年からの伝統なのでしょう、必死に頑張った姿をみてくださって、「錦糸中学校」という下町の伝統の中に私を受け入れていただきました。楽しく充実した毎日でした、部活動もテニス部、ボート部(レガッタ)、吹奏楽部を兼任で顧問をしました。以後、7年間で2年、3年、3年、1年、2年、3年、1年と担任をやらせていただきました。充実した教師生活を送らせていただきました。教員時代のほとんど、分掌は生活指導部でしたが、1年からの持ち上がりの学年の3年目は希望して、進路指導部の副主任をやらせていただきました。この年は中学校の進路指導を揺るがす大変な出来事が起こります。埼玉県から始まった「偏差値教育」からの脱却です。が、そのお話は次回に。